
決して一流とはいえない成績の選手です。
この成績を見て、誰のものかわかる人?
マリーンズファンなら簡単ですね。
マリーンズ一の快速男、代田建紀です。
97年ドラフト6位で近鉄バファローズに入団した彼。
しかし、結果を残せず、わずか2年でスワローズにトレード。
プロとして生き残るため、50m5秒9の快速を武器に奮闘するも、
出場機会に恵まれず、こちらも3年でクビに。。。
たったの5年で、プロ失格の烙印を押されてしまいました。
しかし代田は諦めません。
わずかなチャンスにすがり、マリーンズの入団テストを受験。
かろうじて合格。
何故、彼はこうまでプロ野球にこだわるのでしょうか。。。
それは彼が小学生の頃の話。
幼い頃からプロ野球選手を目指し厳しい特訓を課したのは、
他でもない鬼のような父でした。
毎朝6時に起こされ5kmのランニング。
練習でエラーでもしようものなら容赦なく殴ってくる父。
何故こんなにも自分に対して厳しいのか…。
他の子の親が羨ましい。。。
時は流れて代田が中学2年生の時、自宅でホコリを被った箱を偶然見つけました。
中を開けてみると、そこには東京五輪の聖火トーチとランニングシャツが。
代田はその時、
「父は陸上選手で東京五輪の候補選手だったこと」
「選考会直前の交通事故でケガをしてしまい夢が絶たれたこと」
「結局、五輪には聖火ランナーとしてのみ参加したこと」
を知りました。
そして、父の代田に対する思いを初めて知ったのです。
それ以来、ケガに泣いた父の無念を晴らすべく、どんなに厳しい練習にも文句ひとつ言うことはありませんでした。
さて、テストでマリーンズに入団した彼は、脚を活かしたプレーで活躍。
初めてプロでの手ごたえ感じ始めた03年シーズン最終戦。
第3打席でショートゴロを打った彼は、得意の足で内野安打にすべく全力疾走。
しかしその送球が悪送球になり、1塁手との交錯を避けるために踏み込んだ彼の左足はあり得ない方向に曲がってしまい。。。
左足半月板損傷・十字靭帯部分断裂。
全治1年の重症です。
しかも、唯一の武器である脚でした。
2日後、彼は球団から呼び出しを受け、
「来年は契約を結ばないから」
と無情の戦力外通告。
数日後、絶望に打ちひしがれた彼の元に、1通の手紙が届きました。
『お疲れ様。脚のケガを治すよう努力するように・・・』父からの手紙でした。
あの父からの優しい言葉。。。
戦力外通告を受けても泣かなかった代田の目から涙が流れてきました。
このままでは終われない!!
翌年の11月に行われる12球団合同トライアウトの受験を誓います。
一人っきりでのトレーニング。
そして時には、元プロ野球選手というプライドを捨てて草野球にも参加。
「親子ともども、ケガに負けてたまるか!!」
そして迎えた2004年11月9日、西武ドームでのトライアウト。
悪夢のケガから1年。。。
ここで彼は、3安打1盗塁の大活躍を見せて、見事マリーンズへの復帰を果たしました。
監督に復帰したボビーに、武器である脚を評価されての再入団です!!
代田はこのとき、プロに入って2度目の涙を流したのです。
時は流れて2006年7月29日。
京セラドームでのバファローズ戦。
勝ち越しタイムリーと2盗塁で、初めてのヒーローインタビューを受けます。
記者「ファンの声援も聞こえましたが、実はプロ初のヒーローインタビューですよね。」
代田「はい。そうです。。。」
記者「我慢の時期、色々苦労を乗り越えて、この場の感触いかがですか?」
代田「一昨年のことを考えると…(涙) まぁホントに…うれしいですね…(涙) スミマセン。。。」プロに入って3度目の涙。。。
その時、オイラもレフトスタンドにいましたが、
レフトスタンドの多くのファンも涙ぐんでいたのを覚えています。
決して一流ではありませんが、苦労しても挫折しても這い上がってくる彼のような選手の頑張りが、
同年代の我々にも勇気を与えてくれるんです。
今年のキャンプは2軍スタートとなってしまった彼ですが、
武器の脚を活かして、必ずや1軍に戻ってきてくれることと思います。
頑張れ怪盗LUPIN!!
長文・乱文、失礼いたしました。。。